京都“安楽死”事件「2年前、私がそのALS女性から受け取ったSOSのメッセージ」

宮下洋一さん。またこの人~?もういいよ。もうお腹いっぱい。
2年前にメッセージを貰ったって。そんな事今さら公表しなくていいよ。黙ってろよ。しゃしゃり出てくるんじゃねーよ。その女性は自力で望みを叶えたんだから。この宮下さんって人は全く関係無いでしょ!??
自殺幇助の許可が下りなかったアメリカ人の人がその後好きな人が出来て死ななくて良かった、幸せだなんてそんなの結果論でしかないじゃん。じゃあ好きな人が出来なかったら???苦しみの時間が長くなっただけの結果だったらどうなのさ?と問いたいね。

最近思うんだけど、私が「生きる権利が認められるならば死ぬ権利だって同じように認められるべきだ~!」と騒ぐのは、私が「死にたい側」だからなんだろうなという事をよく考えます。
「どんな理由があれ死ぬなんてダメだ!」っていう主張の人はきっと「生きたい側」あるいはそれによって何らかの利を得られる側なんだろう。
どっちだって主義主張がある。そして人は「自分にとって都合の良い」事しか主張しないんだろうと思う。
私は生きたくない。生きていたくないからもしも簡単に死ねる世の中になったら自分の望みが叶う。だから簡単に楽に死ねるようになればいいのにと思っている。回復の見込みの無い病で苦しんでいる人に生を強要するなんてサイコパスだ!と思っているけれど、もしかしたらとにかく自分が生きていたくないという主張が根底にあるから条件付きであっても死を認めろと考えているのかもしれない。
だけどそれが可能になった世の中は逆の考えの人からしたらとんでもない世の中なのだ。真逆の考え、価値観、主義主張だから両方の考えをすり合わせるなんて不可能なのだ。どちらか片方の考えだけしか通らない。
現状では不治の病だろうが耐え難い苦痛が続こうが「あの世からのお迎え」が来るまではそれを耐え続けるしかない。亡くなった人にとっては逮捕の医師二人は神のように思えたんじゃないのかね。

そういえば、紺美さんのブログに告知を受けた時に担当医から「死ぬ病気じゃないんだから(まだまだ生きられるんだから御の字ですよ)」みたいな事を言われた記事が書かれていた。私はそれを読んだ時に「そいつ本当に医者かよ?」って思ったのです。
以前医者の人が「医者の一番の役目は(病気を治すのももちろんだけど)患者の心に寄り添う事だ」って言っているのを見たんだけど、そういうお医者さんに診てもらいたいわあ。
とりあえず紺美さんの告知をした医師はろくでもないなとその時普通に思ったわ。


この宮下さんの本、問題提議というよりもなんか逆効果を生み出しているように思うわ。
世界にはこんなふうに死を選べる環境があるというのはとても貴重な情報提供でもあるかもしれないけど、だけど日本人には手に入らないじゃない。紺美さんは本当に特殊中の特殊。
何か、自分には手に入らないけれど手に入れている他人はいるって思い知ると余計に苦しみだけが増す気がする。自分には安楽死を手に入れる事は出来ないんだったら安楽死出来る世界があるなんて知らなかった方がまだ幸せだったんじゃないのかな。羨ましくなるだけじゃん。自分にはどうにもできないのに。生まれた国が違ったら望みは叶えられたのかもって思いながらまた身体が動かなくなっていくのを感じるの?だったら最初から知らない方がまだ諦めがつくんじゃないのって思っちゃうね。


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