夢は叶いませんでした

私は今の貧乏神に憑りつかれたような職場が本当に嫌で嫌で、とにかく1分1秒たりともそこに居たくないので、朝は近隣の公園で定刻ギリギリまで時間を潰しています。
その光景が桜の絶景スポットで、週末はお花見の人なんかも外からやってくるらしいのですが、本当に絶景なんです。

丁度1年前の今頃、満開の桜を同じく時間を潰しながら眺めて「来年こそこの桜を見なくても済みますように」と祈ったものです。それが私の最大の夢でしたが。
が、叶わず、今年もまたその桜を眺めていました。

もう諦めるべきなんでしょうね。来年もこの桜を見ているでしょう。来年も再来年も、10年後も毎年毎年この桜を毎朝時間を潰しながら鬱々とした気持ちで眺める事でしょう。
もう、そういうものなんだと諦めて受け入れられるように、そっちの方に努力した方が幸せになれるよな~とも思います。たまにだけど。

今までは、どうにかしてこの場所から逃れたいと。そちらにばかり気持ちが向いていて、「受け入れる」なんて微塵も考えていなかったんです。
だけどおそらくそれが叶う可能性はゼロ。あっても本当に僅か。

受け入れられる可能性も当然薄いんだけど、他所へ転職出来る可能性と比較すればまだそっちの方が可能性はある。
無駄な労力を使って抵抗して疲れ果てるよりも、まだ多少でも可能性がある方へ力を注いだ方がマシなんじゃないのかなって、先々週あたりでしたかね、鬱々とした朝、桜を眺めていてふと考えたんですよね・・・

流れに身を任せるっていうのかな、

溺れている時に無理矢理に手足をバタバタさせてもがいて抵抗して体力を使い果たして溺死するような。
抵抗せずにじっとしていれば浮力で浮き上がるのに不安と嫌悪感でもがきまくる。
今の自分ってそんな感じ。いや、ここで働き始めてからずっとそう。もう5年近くそんなことやってるんだからさすがにもう力尽きる日も近いだろう。

それに、先の事は分からないもの。

来年も10年後も自分はここで働いているだろうと思い込んでいるけれど、本当は来年の事なんて少しも確かではないんですよね。

だって、去年の今頃、翌年の東京オリンピックが延期になるなんて予想できた人がどれだけいます???
予測と良い方へずれるかもしれないし、悪い方へずれるかもしれない。予測通りに時間は経過するかもしれない。
もっと言えばもう生きていないかもしれない。

起こり得る中で一番最高な状況はもちろん自分はこの世に存在していない事なんだけど、それは可能性としては薄いだろう。

だから、なるべく負荷のかからない生き方をしていられるようになりたい。

「現実を受け入れて抵抗しない」というのが今のところ自分が出来る中で最も負荷を減らせる生き方に近づけるのではないのかな・・・
これまで抵抗ばかりしてきたけどそれで苦しみが和らぐ事はなかった。むしろどんどん苦しさは増していった。

抵抗しない。諦める。足るを知る。何でもかんでも嫌だ嫌だと抵抗するのもいい加減にして、少し目の前の現実に感謝をして受け入れられるような努力の仕方に切り替えてみようかな。

絶対出来ないって思うけど、努力してみるだけでも少しは変わるかもしれない。

「こんな現実を受け入れるなんて100%出来ないから!」が「99%出来ない」に変わるかもしれないじゃない。
今の状態で1%でも頑なさが減ったらそれって激変だもの。
ちょっとだけでいいから頑張ってみようかな・・・