「普通」を目指すと底辺になる!?

ある人と「平均値と中央値という値があってだな。」そんな会話からスタートしたのです。


今の時代の世の中40代男性の「平均年収」が477万円らしいんだけど、
正直今自分が接している人でそんなに収入の高い男性なんかいません!

前職の頃はパラレルワーカーが主流だったので、普通に1000万円以上が当たり前の世界だったけど・・・。
今の職場は皆さん1か所からの収入しか無いのでね・・・その1か所からのお給料が低いし。

結局平均は平均であって、高所得者が平均値を引き上げているだけに過ぎないのよね。
一番主流の中央値は年収で300万円~400万円だと聞く。
だからある意味平均は350万円程度ってところでしょうか。

私の年代の人間は「普通」を良しとしていたようなところがあったような気がします。
突出もせず、極端に脱落もせず。そのためにみんな必死に勉強して、我慢して、食らいついていたような気がします。
が、一流大学を卒業したって就職もなく・・・っていうのが当たり前になって、
それまでの「普通」っていうのは、とりあえず大学を出れば就職が出来て、それなりの相手と結婚もできて、郊外で狭いけど家も買えて、子供もそれなりで、60歳過ぎたら仕事を辞めて余生をそこそこ楽しむ・・・みたいな
とにかく全てが「そこそこ」で続いてそのまま終了していくっていう状態を指していたんだけど、
ところがもう今の時代、そんな過去では「普通」だった事柄って、選ばれし超エリートじゃね?状態じゃね?
私たちの時代よりはマシになっているのかもしれないけれど、今の若い人たちでもやっぱり一流企業に就職できる新卒だってごく一部だし、それに乗れなければもう大半は底辺への道を約束されたレールに乗って時間が過ぎるのを待つだけだし、
そういった意味合いでも普通=負け、貧困、底辺を意味していて、普通に勉強頑張って、学校卒業して、就職をするっていう流れだと生き残れない時代に突入しているんでしょうな。
もちろん努力も勉強も大事な事で、だけどそれだけではもう生きられない。要は受動的な考え方ではかつては当たり前だった幸せは享受できない。能動的にならないと。
でも、世の中的に、受動的な考えが身についている人間の方が扱いやすいという風潮はあるよね。
それこそ、特に私の今の職場のような不人気最底辺業種の職場だと、何も考えずに社畜に徹してくれる従業員が企業としては一番最高だものね。でもそれは頭を全く使わない職種だからこそ可能な話でしかない。
ちゃんと利益を生み出して、頭脳集団を求めるような企業は違うけれど・・・・w

結局のところ肉体労働では稼げないよね。肉体労働で稼げるのって、トップアスリートとかの極極極一部。結局一般人は知的職業じゃないと稼げない。

考えれば考える程詰んでるわよねw
自分の周囲が最底辺だからコンプレックスを抱えなくて済むようになった分、危機管理能力が著しく落ちているような気がします。
このまま「職場の人、周囲の人みんな貧乏人だし、だれも努力なんかしてないし休日は安酒飲んでグダグダしてるだけだしまあいいか~」みたいな、現状の自分を正当化させる方向へ流れるのは断固阻止しないと。
自分を責めない、どんな自分であっても許して認めてあげるのはすごく大事なんだけど、だからと言って一切の改善努力を放棄するっていうのは違うと思う。
「こんな人たちのようにはなりたくない」っていう逆お手本が目の前にいるこの状況を有難いと思おう。そして、少しでもそこから離れられるように策を尽くしていかなければならないのだ。


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