一昨日くらいにツイッターで知ったのだが、ADHDの診断を受け、仕事を辞めてバイクで日本一周回った旅の最後にダムへ飛び込み天国へ旅立ったツイッタラーの男の子。最後の投稿にもう苦しみたくない悩みたくないって書いてあった。
何とも言えない気分になる。
色々な事を言う人がいる。まだ若いのにとか生きていればいい事があるとか、残される人の事を考えろとか、でも全部ひっくるめて当事者以外には何も分からない。恵まれているように見える人にだって恵まれている故の苦しみがあったりもするし、許容レベルにも個人差がある。
自分はしょっちゅう他人から「そんな些細な事を気にしたり悩んだりするのはおかしい、そんな事で逃げるんだったらこの先どこへ行ってもやっていけない」的な事を言われたけど、そんな事はとっくに分かっているのだ。
要は一般的とか普通レベルからかけ離れ過ぎていて普通に生きられないのである。それを悟ってしまったから苦しいしもう全部放棄したいのだ。
まだ逃げ道がある、あるかもしれないという勘違いで留まっていれば誤魔化し誤魔化しできたのかもしれないけど、これはもう直せないし直せなかったら一般社会では生きられないと知ってしまったから。
だからこの先生きていかなければならない事が苦行でしかないし、その耐えられない程の苦行から離脱したいっていうだけなんですけどね。単純すぎる程に単純。
多分普通の人は苦しい事もあるけれど、耐えられるレベルの苦しみで、その苦しみを克服しながら成長していく喜びとか面白さを感じているし、だから離脱するなんて考えないのだろう。
しかし自分は克服できないし仮に克服できるとしてもそこに対して何の面白みも感じられない。感覚とか脳の構造とかが普通の人と違うし劣っているのだろうな。
そのライダーの人が何を考えて死に至ったのかは本人以外誰にも分からないし、理由なんて無いのかもしれない。理由があったとしても複合的で、本人にすら分からないのかもしれない。
ただ、気持ちは本人だけのものだし尊重されるべきものなのだから外野がどうのこうの言うのは失礼だなと感じた。ただそれだけ。
このところ日々がどんどん憂鬱になっていっているし、それと反比例するように外面は元気そうに振舞っている。その日常に心底疲れ果ててしまっている。
この毎日があと50年近く続くというだけでも耐えられるわけがないのにここからどんどん下降してしんどさも倍増していくと思うと・・・・考えなければいいんだけど、その時になったら考えればいいのに、先々を考えて逃げたくて堪らなくなってしまう。
安楽死を認めろとか言っている人も割といるけど認めたとしても物凄い高額で結局金持ちしか自由に死ねないんだろうなと最初から予想はつく。
結局お金が無いと何も出来ないし何も手に入らない。ため息しか出ねー。余命を売りに出せたらいいのにって結局そこに帰結するw
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