やりたくない事ではなく、「やりたい事」を探す

「やりたくない事よりもやりたい事に意識を合わせたい」
それが今年の切実な願望であります。

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とにかく自分は「労働に関する全ての能力や適性がゼロ」だからやりたい事なんか無いし仕事そのものが楽しくないどころか苦痛だし、だけど最低限の生活費を手に入れるためにこの先も一生嫌々働き続けなければならないのだと諦めていた。

だけど、やりたかろうがやりたくなかろうが、死ぬ瞬間まで働き続けなければならないのは確定で、そこは変えようがないのだから、だったら少しでも苦痛を減らしていく方向へどうにか軌道修正しなければならない。
やりたい事を叶えるよりもやりたくない事を回避する方が難しいだろう。やりたくない事を回避するのは不可抗力が多すぎるから。自分自身よりも外的要因になってしまいがちだと思う。
それよりもやりたい事を叶える方が自分の強い意志一つで(本当に強い気持ちが必要だけど)まだどうにか出来ると思う。
そう考えてみると、仕事に対してマイナスの意識を持っている人は決まってこういう事がやりたいみたいな希望が無くてやりたくない事ばかりを主張しているなあと思い至った。
ただひたすら休みが欲しいとか、早退したいとか、電話に出たくないとか、出勤したくないとかwww
具体的な理由なく「在宅勤務がしたい」とかね。その理由は単に「楽そうだから」とか。まんま前職のゴミ女で草

そうじゃないのよね。「〇〇の仕事がしたい」が叶った後にその後付けで「在宅勤務の方が効率が良いので在宅でやって下さい」が付いてくるんだよね。で、恐らく在宅で働きたくないとかオフィスに出社したいならその道も開ける拓けるんだと思う。
自分に何かやりたこと、見つかるのかな・・・・。正直無理だと思っている。やりたい事なんか無い。だから働きたくないから死ぬしかないと思っている。
だけど、安易に死ぬ手段は今は見つからないから。だからいつかお金さえ払えば安楽死が可能になる未来が訪れると信じて、そのためにお金を貯める。そのために少しでも労働の苦痛を和らげたい。だから無駄だと分かっていても「もしかしたら」の気持ちで、少しでも楽しく働ける状況を目指したい。だから可能性なんかゼロに等しくても、行動したいと思う。行動しなかったら本当にゼロのままだからね。

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結局死ぬ権利を手に入れるためにもカネがものを言う。地獄の沙汰も金次第なのだ。

40代独身女性が今さら人生をスタートアップしてみたw