東日本大震災から10年

毎年3月11日になると「お金ではなくて余命を寄付出来ればいいのに」と思う。

生きたいのに生きられなかった人、生きるべきなのに生きられなかった人、どれだけ多くの命が失われた事か。
その一方で生きていても仕方のない命もある。
よく「命の価値は平等だ」とか、「どの命も同様に尊い」とか言われるけれど、実際はそんな事ないもんね。
無駄に長生き決定してそうな自分の余命、恐らく残りあと50年はあるだろう。それを全部もっと価値のある人に捧げられたらって。毎年毎年そんな事を考えます。

自分で自分の価値を高めるしかないんだよな。
全てを放棄している周囲の人たちを見ているとそっちに引っ張られそうになる。
今さらこんなにあれこれと頑張ったり何かを変えようとしてみたって無駄だよって。
今のまま流されるままに、何も考えずに、何も望まずに、何にも期待せずに、ただ養分として、ただ勤務先の歯車の一つとして一切の思考をせずにただ時間が過ぎるのを待つだけでいいじゃん。それが一番楽じゃんっていう気になっちゃうんだよね
それはそれで正解なんだろうけど、今の自分には刺さらない。

またその内気持ちも変わるだろう。投げやりで適当で全部諦めて放棄している方が正解なんだっていう考えになる時もくるかもしれない。
そうなったらなったでその時にそういう方向へ向かえばいい。
今は頑張ってみたい。自分がどこまでやれるのか、どこまで自分の意思で成長させられるのかを試してみたいし見てみたい。
その先の世界がどうなっているのかを自分で確認してみたいから。

とにかく今はこれまでやってこなかった「自主的に自分を高める」というチャレンジをするフェーズ。
本来こういうのは20~25歳くらいの時期に何よりも優先させて注力するべきなんだけど、それを怠っていたし、そもそもそれが重要なんだという事実を知りもしなかったのでね。
普通の人よりも20~30年遅い周期で動いている自分だから仕方が無い。本来やるべき事、やらねばならない事、避けては通れない事をただやるだけです。


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