最近強くイメージしています。
「退職が決まって辞意を伝えた後の状態」を(笑)
上長から「辞めるんだって?」と言われて「長い間お世話になりました。〇〇部長がいなかったら私はこんなに長く在籍出来なかったと思います。本当にありがとうございました」と満面の笑顔で言うの(笑)
恐らく上長は「杏さんがいなくなっちゃうとパソコンの事を聞ける人がいなくなるからマジで困るよ」(←社交辞令ではなくて本気で困っている)と言われて私はまた満面の笑みで「大丈夫ですよ~、ここで使うパソコンの操作なんて小学生以下のレベルですよ?口語体でいいのでグーグル検索して下さい。全ての答えは検索結果に出てきますから」と答える。
嫌味半分、真剣なアドバイス半分です(笑)
本当にそれが現実に起きているかのようにイメージする。
今度家で声に出して身振り手振りで表情も作ってやってみようかな。ドラマの撮影のように。自分はそういう役柄なのだ。そして、本気でそれが現実のものだと思い込む。そうやってイメージングする。
本気でイメージできる事だけが現実になるんだと思う。
心のどこかで「転職なんかできるわけがない、この先もずっとあの仕事を続けなければならない」ってあきらめているもの。
そうではなくて、笑顔で退職出来る日がくると本気で信じる。本気で思い込む。
真剣に少しの疑いもなく思い込めたらそれは実現する。実現できるような行動がとれるようになる。それは実体験として分かっている。
今はまだ思い込みが足りないと思う。だから本気で信じこむようにする。
よく意識の書き換えだとかなんだとか言うけど、そんなこと簡単には出来ない。
だけど「絶対に無理」の「絶対」って何だよ?物事に絶対とか100%なんて無い。可能性が高いとか低いとか十中八九とか九分九厘とかはあっても100%なんてないから。だから少ない可能性でも信じる、賭けてみる。
結局リスクを取って動けるかどうかなんだと思う。失敗も成功も想像の中のものでしかないし、結果なんて最後死ぬまで出ない。生きている間は「結果」ではなくて「過程」でしかない。
どんなに成功したとしてもその後転げ落ちるかもしれない。それはまだ「過程」だから。
落ちぶれても何でも停滞しているよりは余程良いんだと思う。何の変化も無いのが一番ダメ。
自ら動かしてみるように努めるのが大事だよね。だから今自分の出来る範囲で自分の人生が動くように手を尽くしている。それが最終的にどんな過程をもたらすかは分からない。
でも結局自分がやってきたことってブーメランになって自分に戻ってくるものだと思うから。
嫌なブーメラン受け取りたくないじゃん?(笑)
もちろん変わらずにこうやって仕事を続けられている事は感謝しかない。最近本当に有難いし、この年齢で仕事があるって奇跡でしかないんだなと実感する。
ただだからと言って何でもやるとか契約外の事まで受け入れるとかは全くの別問題。
自分の能力を超える事はやらないと割り切る。能力を超えているならばいずれにしてもそこは去るしかないもの。
だけど採用側もあまり高望みしても提示できる条件が悪いから理想通りの人材を確保出来ない。結局「安かろう悪かろう」で能力の低い従業員で我慢するしかないのだ。
こちらも別にそこにつけ入るつもりなんか無い。ただ単に自分の能力ではお望み通りのパフォーマンスの提供は難しいので去れるように努力しますねっていうだけの話だ。
結局のところお互い様の状態なんだろう。本気でイメージしながら落としどころも確保しておく。何か楽しくなってきた(笑)
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